嘉永2年。苗木藩主第12代遠山友詳は、
江戸将監橋の上屋敷でにて、親しい大名を招きました。
ペリー来航の4年前です。
その時の料理が、中津川の料理人の手によって再現されました。
会期 3月7日(土)~15日(日) 9:30~17:00(入館16:30まで)※3月9日休館
入館料 一般320円 中学生以下無料
会場 中津川市苗木遠山史料館
中津川市遠山史料館の企画展 大名接待料理復元展 が始まりました。
この展示は、大名の日記に基づき、当時の宴の料理を現代に再現するというもので、
会期中は実際の料理が会場に並びます。
初日は、料理復元を担当した中津川料理研究会による説明会。
そして資料調査員 千早保之先生による江戸上屋敷の説明が行われました。
嘉永2年秋、苗木藩第12代遠山友詳は、江戸上屋敷に親しい大名を招いて宴を催しました。
嘉永2年は、日本国中が大混乱となるペリー来航の4年前、
そして天才画家、葛飾北斎が亡くなった年です。
ごく内輪だけが集まった宴のようで、
宴は客間ではなく、「奥」つまり奥方様の居住スペースの客間で行われ、
帰りは通用口から帰っていったようです。
女性も同席しており、甘めの料理が出されていたことが特徴です。
そして、魚料理が多く、たぶん旬の良い魚がたくさん入っていたと思われます。
大名の日記の研究が進むにつれ、遠山家の江戸での暮らしが少しづつわかるようになってきました。
そこで今回は特別に、資料調査員 千早保之先生による江戸屋敷の説明が行われました。
遠山家の上屋敷があったのは、増上寺の近くで
遠山家江戸屋敷は江戸時代の初期からあったと伝えられています。
今回の展示会のポスターをよくよく見ると
「トウ山 ミノ」の字を見ることができます。
大きな「薩州」の屋敷に比べると少し小さめに見えるのですが...
縦100m 横70m の広さがありました。
下屋敷までの距離は2.4kmと近く、下屋敷は「隠居所」として使われていたようです。
上屋敷の周りは二階建ての建物で囲まれており、
その様子は、苗木城の旧城下町に現存する山下家の趣と同じといわれています。
今回の展示でも、中津川菓子組合によって復元されたお菓子を食べることができます。(有料)
お菓子はその日によって変わります。
2015年03月06日 更新
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投稿者:こばち