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【中津川市中山道歴史資料館】企画展「杉原千畝の見た中津川」ただいま開催中

【中津川市中山道歴史資料館】企画展「杉原千畝の見た中津川」ただいま開催中

第2次世界大戦中に「命のビザ」を発給し、多くのユダヤ人の命を救った外交官 杉原千畝(1900~1986)は、中津川の気風を受け継いでいた...?
明治38年(1906)から40年(1908)の1年半、中津川で過ごした杉原千畝。当時の中津川な、とても自由で平等で、開放的な空気感に満ち溢れていました。
資料から当時の中津川を感じることができる企画展です。

中津川市中山道資料館

企画展「杉原千畝の見た中津川」
会期   9月30日まで
入館料  320円(中学生以下無料) 第一日曜日(六斎市開催日)は無料
開館時間 9:30~17:00
休館日  毎週月曜日
お問い合わせ 0573-66-6888


平成28年 中津川市立南小学校から、「命のビザ」を発給した外交官 杉原千畝が中津川尋常小学校に在籍していたことが記された学籍簿が発見されました。千畝少年が中津川に過ごした明治38年(1906)から40年(1908)の中津川は、鉄道の開通により産業が発展し、経済的にもとても豊かなまちでした。

[千畝が過ごした中津川]
千畝が中津川に来たのは、税務署に務める父親の転勤のためでした。
当時杉原一家は中津川市本町に住み、父親の務める税務署は花菱町にありました。中津川尋常小学校は、現在の中津公民館にありました。
今も税務署の門扉や学校の松など、当時をしのぶことができます。

さて、千畝が過ごした明治30年代から40年代の中津川は、いったいどんなまちだったのでしょう?

[情報ターミナル 中津川宿]
幕末、中津川宿は情報ターミナルとしての役割を果たしていました。日本が尊王攘夷へと進むきっかけを作った「中津川会議」への協力や、幕府から賊軍とみなされていた天狗党を歓待するなど、中津川宿の人は時の支配者に従うことなく、勇気をもって自らの意思で新たな世界を目指しました。

[教育のまち中津川]
明治7年(1874)興風義校が開校します。
男女とも「8歳より入学し勉強させる」
貧しい家はお金を払わなくてもよい
など、当時としては画期的な学校で、福沢諭吉の「学問のススメ」や英語教育、国際法を学ぶなど、ハイレベルな教育をしていたことがわかります。


[自由、平等、開放的な中津川で育った千畝]
杉原千畝の通った中津川尋常小学校は、自由・独立・平等の気風に富み、世界で通用する人材教育に力を入れていた小学校でした。彼が中津川で過ごしたのは、ほんの1年半余りの短い期間でしたが、幼児期から少年へと変わる人間形成上とても大切な時だったと思われます。人はだれでも自由で平等、そして困った人を見ると見過ごせないという中津川気質は、杉原千畝に大きな影響を与えたのではないでしょうか。

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中山道資料館では、貴重な資料展示とともに、
杉原千畝とゆかりがある場所を示す「千畝ロード&中津川宿歴史散策マップ」を配布しています。
展示を見学した後、ぜひ中津川散策をしてみてはいかがでしょうか?


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2018年08月17日 更新 [今月のおすすめ記事] [観光]  投稿者:恵那山ねっと編集部



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