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恵那山と深田久弥
投稿者: 恵那山ねっと編集部
日時: 2006年09月21日 23:54

深田氏はウェストンの「恵那山」登山記の影響を受けています。

「日本百名山」 深田 久弥著 (新潮文庫)より



「日本百名山」

深田 久弥著 (新潮文庫)より
600円(本体583円)
   第76番  恵那山 (2190米)


 島崎藤村の『夜明け前』を読んだ人は、美濃の十曲峠を登って木曽路にかかる入口の馬籠を忘れないだろう。その馬籠から南に当って、 大きく恵那山がそびえる。幼年時代の藤村があけくれ眺めた山である。当然『夜明け前』の中にこの山がしばしば出てくる。 例えば恵那山を描写したこんな一節がある。
 「遠く美濃の平野の方へ落ちている大きな傾斜、北側に山の懐をひろげて見せているような高く深い谷、山腹にあたって俗に『鍋づる』 の名称のある半円上を描いた地形、蕨平、霧ヶ原の高原などから、裾野つづきに重なり合った幾つかの丘の層まで、 遠過ぎもせず近すぎもしない位置からこんなにおもしろく眺められる山麓は、ちょっと他の里にないものであった。」
 藤村のこの大作を読んだのは随分前のことだが、その頃から恵那山は私に強い印象を残した。
 まだある。それはウエストンである。日本アルプスの父とまで呼ばれた、山好きのこのイギリスの宣教師は、私の生まれる十年も前に、 すでに恵那山に登っている。まだ東海道線から分かれて中津川まで汽車も通じていない時代に、彼ははるばるこの山へ向かった。
 ウェストンの名著『日本アルプスの登山と探検』に収められている恵那山紀行も、かねがね私の登山欲をそそっていた。 それほど古くから知られた山でありながら、登山にも一種の流行のようなものがあって、どうやら恵那山は忘れられた山になっている。 恵那山はもとは胞(えな)山、イザナギ・イザナミの二神が天照大神(あまてらすおおかみ)をお生みになった時、 その胞をこの山頂に納めたので、その山名ができたと言われている。そんなに昔から伝えられているのも、 この山が平野からよく見えるからだろう。名古屋から見え、津市に住む私の友人の家からも見えた。そのあたりから望むと、頂上の稜線が長く、 ちょうど舟を伏せた形に見えるので、舟覆山(ふなぶせやま)と呼ばれている。

 東海道から分かれて中山道へ入り、木曽路にかかろうとする所に、関守のように立っているのが恵那山である。 大昔は中山道は恵那山のすぐ東北に当る神坂峠を越えて伊那谷へ出た。神坂という名前は大和武尊が東征の帰り通過したからだ伝えられている。 事実、万葉集にも「千早ぶる神のさか」という歌が載っている。この御坂(みさか)は和銅年間には主要道路であったのだが、 南北朝分裂の争乱の頃から、この道は廃(すた)れて、今の木曽路が中山道として選ばれるようになった。
 だから昔の神坂の旅人は倦(あ)くほど恵那山を眺めながら通った。有名になったのも当然だろう。

白雲の 上より見ゆる 足引の
   山の高根や みさかなるらむ

 



 これは『後拾遺集』中の能因(のういん)法師の歌だが、もし彼が「白河の関」のでんでなく、本当に実景を見て作ったのであったなら、この 「山の高根」は恵那山であろう。神坂は恵那山から続いた山稜上の一鞍部(あんぶ)に過ぎないのだから。恵那山の表登山口は、 中津川市から南へ川を登った所にある川上(かおれ)と言う小村である。ここに恵那神社があり、またここに古くから伝わる人形芝居は、 川上文楽として無形文化財に指定されている。この登山口から頂上まで随分登りでがある。普通の山は一合目から始まって十合目が頂上だが、 ここは二十合目まである。
 近年この長い道を棄てて、もっと近い便利な登山道が開かれた。私が採ったのはその新道で、それは川上(かおれ) よりもっと奥まで川に沿って登り、恵那山の南東陵に取りついて恵那山の頂上に至るものであった。四月下旬であったが、 まだ上の方には雪があった。
 頂上から南アルプスの大観はすばらしかった。ずらりと白雪を輝かせて連邦が競い立っている姿は全く息を飲むような眺めであった。 ウェストンの紀行では、赤石岳の南肩に富士山が覗いていることになっているが 、それは見えなかった代わり、思いがけない賜物が私にあった。 それはわがふるさとのやま白山が、白無垢の清浄さで遠い空に浮かんでいるのを見出したからである。イザナギ・ミザナギの二神を祀(まつ) った祠(ほこら)は台風のために倒れていた。その山頂を辞して、高低のある長い頂陵を辿り、神坂峠へ続く尾根を下った。 その夜は峠の近くの小屋に泊り、翌朝そこからすぐ近くの富士見台を散歩した。広々とした高原で、夏は牧場になる。 その原から幾度も私は恵那山を眺め返した。雪を点綴(てんてい)した頂の長い恵那山は、まるで長城のように悠然とそびえ立っていた。



 76 恵那山 全文 昭和53年発行



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