神坂峠と周辺の史跡

・神坂峠の発掘


神坂峠古代祭司遺物/ぬさ(阿智村誌上巻)
 富士見台南端鞍部を古代東山道が通っていた。この峠を中心にその周辺には信濃・美濃側にそれぞれ史跡に富んだまた探勝地が散在している。その中でも特に注目すべきは、東山道最大の難所となっていた神坂峠にまつわる古典の記録や、更には当時の峠越しの様子を伝える古代祭祀の遺構や遺物であろう。
 古代、峠の神は恐ろしい荒ぶる神として旅人達からは恐れられ、旅人達は峠の神の心を和めるため「手向け」の品を供え祈りを捧げて越えた。こうした「ぬさ」が峠付近から発見されることは早くから知られていた。昭和43(1968)年には文部省の発掘調査がなされ、鏡形(円板)、剣形、曲玉・小玉などの神器をかたどった石製模造品等千余点、またおびただしい土器類破片が発見され、祭祀遺跡として重要な史跡であることが確認された。現在は「神坂峠遺跡」として国の指定をうけている。

・神坂峠と日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

 古代東山道は恵那山と富士見台の鞍部を通っており、この付近では海抜が一番低い地点にあたる。ここの峠を「神坂峠」と呼び、ここの稜線が美濃と信濃の国境となり、この峠は「信濃坂」・「科野坂」ともいわれ『古事記』・『日本書紀』(両書を「記紀」とも呼ぶ)に日本武尊が通行した記事がみえる。古事記は簡単であるが『日本書紀』は、日本武尊通過の際の様子を次のように伝えている。尊がこの峠越えのおり、疲れていたのでこの地で食事をとろうとした。その時、尊を苦しめようと一匹の白き鹿が尊の前に現れた。不思議に思われた尊は、持っていた蒜を鹿めがけて投げ付けると、蒜は鹿の目に的中しその白鹿は死んでしまった。すると尊はどう進んだらよいか進路を失ってしまった。そこに一匹の狗が現れ案内をするしぐさをした。尊はその犬に導かれ美濃路に出ることができ、尾張に帰ることができた。この後はこの峠を通る人は蒜を噛み自分の体や牛馬に塗った。そうすると峠神のいきに当たらないという。


・防人の歌他


神坂峠
 わが国最古の歌集『万葉集』にも、この峠を通過するに際して峠の神に旅の安全を祈った防人の歌も収録されている。万葉集20巻防人の歌の中の一首に、
 知波夜布留賀美乃美佐賀爾奴佐麻都里伊波布伊能知波
 意毛知知我多米
 (ちはやぶる神の御坂に幣まつりいはふいのちは母父がため)
 埴科郡主張神人部子忍男
と詠まれ、天平勝宝7年(755)遠く九州北辺の守備に徴集されて青年が、旅の安全を祈りながら郷里に残した父母の安否を祈らずにはいられなかった、その姿が思い浮かばれる。
 この峠越えは険阻で困難な道であったために、多くの記録によりそれを知ることができる。
 またわが国最初の勅撰漢詩集「凌雲集」にこの峠の険難を詠んだ坂上忌寸今継の「渉信濃坂」の漢詩もある。